農業の歴史(世界史)(問題と答え)

☆問題のみはこちら→農業の歴史(世界史)(問題)

①約8千年前に農耕・牧畜が始まったが、そのとき作られた石器は何か。また、この時期に発明された道具は何か。

→磨製石器、土器

②約5千年前(紀元前3000年ごろ)に、エジプト、メソポタミア、インド、中国の大河流域で始まった農業は何か。

→灌漑農業

③灌漑農業が始まった結果、何が生まれたか。

→国(国を統率する王とそれを補佐する官僚)、そして情報を記録する文字。

④古代ギリシアにおいて、穀物を輸入するために輸出していたものは何か。

→ブドウ酒、オリーヴ油

⑤ポエニ戦争で勝利した結果、シチリア島を手に入れたローマは、安価な穀物が流入した。そのため、イタリア本土の中小農民は何となったか。また、貴族は何を拡大させたか。

→中小農民は無産市民となり、彼らが手放した土地を貴族が買い占め、大土地経営(ラティフンディア)が拡大した。

⑥パックス=ロマーナの結果、奴隷はどうなったか。

→小作人(コロヌス)となる(新しい奴隷が手に入らなくなったため)

⑦コロヌスを使って自給用の穀物生産をする大農園が広まった。これを何と言うか。

→コロナトゥス

⑧11世紀ヨーロッパでは人口が急増した。それは何が普及したからか。

→三圃制

⑨農奴解放によって自由になった農民を何と言うか。

→独立自営農民(ヨーマン)

⑩長江流域で世界最古の水田跡が見つかったのはどこか。

→河姆渡遺跡

⑪春秋戦国時代において、個人主義や実力主義が広まった背景に、農具と農法の変革がある。どのような農具と農法が普及したか。

→鉄器・牛耕

⑫豪族による大土地所有を制限するために前漢の哀帝が発布した土地法は?

→限田法

⑬魏の曹操が実施した土地制度は?

→屯田制

⑭晋の司馬炎が実施した土地制度は?

→占田法・課田法

⑮北魏の孝文帝が実施した土地制度は?

→均田制

⑯唐の時代、貴族の荘園で働く小作人のことを何と言うか。

→佃戸

⑰唐の時代、自分で荒れ地を開墾し、それを広げて新興地主となった者のことを何と言うか。

→形勢戸

⑱北宋の時代にヴェトナムのチャンパーから伝来した稲を何と言うか。

→占城稲

⑲宋の時代、低湿地を堤防で囲んで開拓する囲田の技術が広まり、水田が拡大した長江下流域の地域を何というか。

→江蘇・浙江(蘇州・湖州)(「江浙(蘇湖)熟すれば天下足る」)

⑳明の時代、江浙地方は桑や綿花などの商品作物への転作が進んだため、コメの生産の中心は内陸へ移った。その地域を答えよ。

→湖広(湖北・湖南)(「湖広熟すれば天下足る」)

㉑新大陸からの銀の流入によりヨーロッパで価格革命が起こった。その結果、東ヨーロッパの領主権力が強まり、農民は没落したため、何と言う制度が強化されたか。

→再版農奴制、グーツヘルシャフト

㉒新大陸では、鉱山や農園で先住民が強制労働させられていたが、ある宣教師の訴えにより、スペイン人の地主が先住民に土地を貸して小作料を徴収する制度に変わった。その宣教師と制度を答えよ。

→ラス=カサス、アシエンダ制

㉓スペインが新大陸において、黒人奴隷を使って経営した大農園を何と言うか。また、そこで主に栽培されていたものは?

→プランテーション、砂糖・コーヒーなどの商品作物

㉔16世紀イギリスで、毛織物の輸出拡大に伴い牧羊地が不足した。そのためジェントリは、村の共有地(入会地)も牧場として、そこに住む貧農を追い立てた。このことを何と言うか。

→第1次囲い込み(エンクロージャー)

㉕第2次エンクロージャーは何を増産するために行われたか。

→穀物(英仏間の戦争により、穀物価格が高騰したため)

㉖18世紀に普及した、休耕地にカブとクローバーを植える農法のことを何と言うか。

→四輪作法(ノーフォーク農法)

㉗1840年代にアイルランドで起こった飢饉は何か。

→ジャガイモ飢饉

㉘ナポレオンが敗北し、大陸封鎖令が解除されると、イギリスでは大陸の安い穀物が入ってくるのを制限するための法律が制定された。それは何か。

→穀物法

㉙穀物法廃止のために、反穀物法同盟を結成した資本家2人を答えよ。

→コブデン、ブライト

㉚アメリカ13植民地では、主に何のプランテーションが広がっていたか。

→綿花

㉛ジャワ戦争やベルギー独立戦争で財政難となったオランダは、ジャワ人に何を作らせて安価で買い上げたか。

→コーヒー・サトウキビ・藍