仏教(古文常識)

古文で仏教がテーマになるときは2通りのパターンがあります。

(1)登場人物が出家をする、出家をしようとする
(2)僧が主人公、あるいは重要人物

(1)登場人物が出家をする、出家をしようとする

このパターンの問題で押さえておきたいポイントは、

①出家≒死である
②末法思想
③宿世

の3つです。

①出家は俗世から離れることであるため、ほぼ死と同義となります。そのため、出家しようとする人は、この世界とのつながり、絆し(ほだし)を断ち切らないといけません。主に断ち切らないといけない絆しは、家族です。出家するということは、家族との永遠の別れを意味しているからです。
叶わぬ恋や出世争いに敗れたとき、出家≒自殺をすることが多いです。

②末法思想とは、1052年に仏の教えが廃れる時代がやってくるという考えです。簡単に言うと、1000年前後は、「この世界はもう滅んでしまう」とみんなが信じていた時代ということです。
そのため、ストーリーが破滅的なものが多かったり、内向的だったりするのはこの影響です。特に平安末期は、この雰囲気のもとで成立した文学作品が多いです。

③宿世とは、現世で起きることは、前世からの因縁で決まっていると考える運命観のことです。
つまり、現在、いいことが起きている(美しい女性と巡り合う、才能あふれ容姿もすばらしい子供を授かる、天皇のもとで働くなど)のは、前世でもいいことをしたからだと考え、逆に、悪いことが起きている(出世争いに敗れる、都を追われる、家族を失うなど)のは、前世で悪いことをしたからだと考えていたわけです。

(2)僧が主人公、あるいは重要人物

このパターンの問題で押さえておきたいポイントは、

①「空」の思想
②無常
③立派な僧か、立派ではない僧か

の3つです。

「色即是空」という言葉をご存知でしょうか。これは、仏教の基本原理であり、簡単に言うと「この世の全てのものは『空』(つまり無)である」という意味です。
「色」とは、事象・この世界の表れ・今見えている世界といった意味です。我々が見ているモノは全て、何らかの関係性(仏教用語で「縁起」といいます)でつながっており、その関係性によって、我々は世界を認識しているのです。
この関係性(縁起)は欲望と言い換えてもいいです。例えば、「おいしそうな食べ物」が目の前にあるとして、それを「おいしそう」と思っているのは「食べたい」という欲がそうさせているわけです。つまり、「食べたい」という欲がない人にとって、それは「おいそう」とは見えず、もしかしたら「食べ物」とすら認識しないかもしれません。
このように全ての欲望を断ち切った先にあるのが「空」であり、そこに真理を見出そうとするのが仏教なのです。

②結局、この世のモノが全て「空」であるとしたら、この世界は無常ではかないものとなります。
「無常」「はかなさ」は古文を読むうえで重要なキーワードです。

③また、物語に出てくる僧は2種類います。
欲望を断ち切り(出世欲や名誉欲がない、必要最低限のものだけで生きている)「空」の思想を体現した立派な僧と、それができない僧です。
物語に僧が出てきた場合、その僧はどちらの僧なのか、行動や発言などから分類するように読むと、パターンがつかみやすくなります。