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参考文献
『意志と表象としての世界』ⅠⅡⅢ(ショーペンハウアー著, 西尾幹二訳, 中央公論新社)

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動画の内容まとめ
ショーペンハウアーについて
アルトゥル・ショーペンハウアー(1788~1860)

- 自由都市ダンツィヒ(現在のポーランドのグダニスク)に生まれる。
- 主著『意志と表象としての世界』
- カントの直系を自負。
- 古代インド哲学の影響も受ける。
- ショーペンハウアーの哲学は「生の哲学」と呼ばれ、ニーチェなどに大きな影響を与える。
テーマ:人生の一切は苦痛。救いは「意志の否定」にのみある
今回のレクチャーを受けていただければ、人生の苦痛の根本的な玄以を知ることができます。
まずは、この世界が何で成り立っているのかについて説明します。
①世界は何で成り立っているのか?~意志と表象としての世界~
この世界はあまたの表象と一つの意志で成り立っています。
表象とは私たちが知覚することのできる現象のことです。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……そういった感覚によって認識することができるものを表象というのです。目の前に見えている物体や生物や世界、あるいは、あなた自身の身体といったものは全て表象です。
表象は私たちの主観が作り出した世界で、人によって見え方や感じ方が異なります。さらに、時間とともに変化し、新たに生成したり消滅したりもします。
この世界は表象でのみ成り立っているように思われるかもしれませんが、表象とはその名の通り、この世界の表面に過ぎません。
表象の奥に、この世界の本質ともいうべきものが存在します。
「この世界の本質は神である」と主張する人もいますが、私はそうは思いません。
私は表象の奥にあるものは「意志」であると考えています。
私の言う「意志」は、一般的に使われる意味合いとは少し異なります。私の言う「意志」は、「力」あるいは「方向性」と言った方が正しいかもしれません。
世界のあらゆる現象を、ある方向性をもって動かしている力、それが「意志」なのです。
人間を含めたあらゆる生命、それだけでなく、あらゆる物質、つまり、あらゆる表象は、この意志が現象という形態をとって世界に現れたものなのです。
意志は表象の奥にあるものなので、表象を支配するルール(物理法則や自然の法則)が適用されません。これらの法則は時間と空間が前提となっていますが、意志には時間や空間というものが存在しません。
そのため、意志には始まりがなければ終わりもなく、永遠に変化することもありません。
さらに、表象は様々な形態をとり、無数の個体として現れますが、意志は一つしか存在しません。つまり、元は一つの意志が、様々な形態をとりながら表象として私たちの目の前に現れているのです。
意志は本来、無限の存在であり、かつ、唯一の存在なので、時間や空間といったものに縛られません。しかし、私たちは時間や空間といったものに縛られて世界を見てしまいます。それゆえ、意志が表象として現れたときは、時間や空間のルールに応じた形で見えてしまうのです。
つまり、私たちは意志そのものを直接認識することはできず、私たちの認識できる表象という形で認識してしまうので、様々な形態に見えてしまうのです。
さらに、無機物→直物→動物→人間という順番で意志が高度に表れていると私は考えています。そして、動物や人間の行動を観察してみると、自己保存と種の存続という方向性を持って生きているように思えます。
つまり、あらゆる表象は「生」の方向性を持っており、その上、その方向性に意識せずとも従わされているのではないでしょうか。
そのため、表象の奥にある意志は「生」の方向性を持っていると推測することができるのです。
ゆえに、世界の本質である意志のことを「生きんとする意志」あるいは「生への盲目的な意志」と呼ぶこともできます。
世界は表象と意志で成り立っており、その本質は「生きんとする意志」であることが理解できたでしょうか?
②苦痛の根本的原因
人間は高度な存在であるといっても、この生きんとする意志の呪縛から逃れることはできません。
この意志が端的に表れているのが、食欲と性欲です。
このように、生きんとする意志は欲望を生み出します。そして、この欲望を動機として、私たちは行為しているのです。
もちろん食欲や性欲に限らず、あらゆる欲望は生きんとする意志から生み出されています。
意志は表象の奥にあるものなので、私たちは直接認識することはできず、制御することもできません。つまり、生きんとする意志によって動かされ続け、欲望を持たされ続けるのです。
そして、それゆえに人生の一切は苦痛となるのです。
先ほども解説した通り、意志には終わりがありません。それはつまり、「生には究極的な目的などない」ということです。
それなのに、欲望を持たされ続けるのです。
決して満足することはないのに欲望を持たされ続け、その欲望を満たすため終わることのない努力を強いられ、そして、最終的に待っているのは死です。
こんな人生を苦痛と言わず何と言うのでしょうか。
お金持ちでも成功者でも、みな同じように人生に苦痛を感じています。なぜなら、どのような人間であっても根本は同じ意志によって動かされ、欲望を持たされ続けるからです。
つまり、たとえ何を持っていようが、何を達成しようが、別の何かを欲してしまい、そのための努力を強いられる、そして、決して満たされないから苦痛を感じるのです。
お金持ちがギャンブルなどで破綻したり、有名人が自殺したりといった話は、一度や二度ならず耳にしたことがあると思います。
人生の一切は苦痛であるということが分かっていただけましたか?
③幸福とは?
人間は、苦痛と退屈の間を絶え間なく往復する振り子です。
生きんとする意志によって生み出された欲望が努力を強制し、その努力が報われないと苦痛を感じ、仮にその努力が実を結び欲望が満たされたとしても、次の欲望が生まれてきます。
常に満たされない欠乏感が苦痛を生みます。
ただ、目標を達成した瞬間など、ほんのひと時欲望を忘れられる時が来ることもあります。しかし、そうなったとしても、人は退屈を感じてしまいます。
退屈とは本来持つべき目標が見つけられない空虚な状態であり、それはやはり苦痛をもたらします。
そして、退屈を追い払うために、新しい目標を見つけてしまうと、また努力を強いられて、苦痛に向かってしまいます。
つまり、どうあっても人は苦痛を感じてしまうのです。
幸福を快楽や享楽といったものから積極的に定義している哲学者も多いのですが、私はそのような幸福の定義の仕方は全くの誤りだと考えています。
なぜなら、人生に存在するのは苦痛の身であり、快楽とは苦痛のない状態だからです。
つまり、快楽や幸福といったものは、「苦痛のなさ」「苦痛の少なさ」といったように、苦痛から消極的に定義されるものなのです。
よって、この世界で幸せになりたいのであれば、苦痛を少しでも減らしていくことを考えなければいけないのです。
④唯一の救い「意志の否定」
このような苦痛に満ちた人生から救われる唯一の方法が「意志の否定」です。
この苦痛の根本的原因である生きんとする意志を否定することでしか、安らかな人生を得ることはできないということです。
意志の否定に至るためには2つの段階があります。
- 認識
- 禁欲
意志の否定に至る2つの段階(1):認識
1つ目の段階は、この世界の根底には一つの意志があり、人間を含め全ての表象は意志が現象したものであるということを認識することです。
この認識をすることで初めて「意志の否定」への道が開かれます。そして、今回のレクチャーを受けていただいたあなたは、もうこれを達成できています。
さらに、全ての人が同じ苦痛を抱いていると知ることによって、自分の苦痛が少しは和らぎませんか? この認識には、そういった効果もあります。
意志の否定に至る2つの段階(2):禁欲
意志の否定に至る次の段階は、禁欲です。
生きんとする意志を否定するために、あらゆる欲望を計画的に抑圧し、苦難を受け入れます。
例えば断食をすることで、食欲を抑圧し、空腹という苦痛を受け入れます。
このように、生きんとする意志によって生み出される欲望を否定してみるのです。
これが、私たちを動かし、苦痛を生み出している意志に対する唯一の抵抗手段なのです。
全ての欲望を否定するのは非常に困難なことかもしれませんが、実際に達成できた人は人類史の中にわずかながら存在しています。
例えば、ブッダなど古代インドで聖人と呼ばれている人などが、解脱つまり意志の否定を達成しています。(つまり、理論上は意志の否定が可能であるということです。)
無限の存在である意志に抗い、真の自由を手に入れる方法はこれしかないのです。