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台湾の歴史を解説します!(オランダの統治、鄭成功、清の統治、日本の統治、中華民国)【二つの中国(中華民国と中華人民共和国)】

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動画の内容まとめ

今回は、今も中国との緊張関係が続く台湾の歴史について解説します。

中国は台湾を自らの領土の一部と宣言している一方、台湾の7代目総統である蔡英文は中国と台湾の統一を否定しています。

台湾は日本やアメリカなどとも親交が深く、経済的、文化的、さらには、軍事的なつながりも強いです。しかし、日本やアメリカは台湾を正式な国家とは認めていません。

このような微妙な状況になってしまったのはなぜか? このことを歴史から学んでいきましょう。

オランダの統治(17世紀)

16世紀までは、台湾は(西洋の)歴史上あまり重視されていませんでした。この近海を航行する船舶の一時的な寄港地とされ、倭寇と呼ばれた海賊の根拠地ともなっていました。

16世紀ごろ中国は明という王朝でしたが、台湾には明から移住してきた人々が住んでいたと言われています。

1593年には、豊臣秀吉が台湾を支配しようとしましたが、失敗しています。

そして17世紀、世はまさに大航海時代です。大航海時代とはヨーロッパの国々がアジアやアメリカを目指して、世界中に進出してきた時代です。コロンブス、ヴァスコ=ダ=ガマ、マゼランなどが大航海時代の有名な航海者です。

その流れで、台湾にもオランダやスペインが進出してきました。

この2つの国が台湾の支配を争ったのですが、1624年に、オランダの東インド会社がスペイン勢力を追放して、台湾全土を植民地としました。東インド会社とは、ヨーロッパの植民地支配を象徴する貿易会社で、アジアにおける貿易を独占しようとした会社です。

植民地という形ではありますが、この時期から台湾の開発が始まり、台湾の名が歴史に姿を現すようになります。

鄭氏政権(1662年~)

中国は1368年から1644年まで明という王朝が統治していましたが、1644年に李自成という人物が反乱を起こし、明は滅亡します。

その後、中国は清という王朝が統治するのですが、このとき明の鄭成功という章軍が軍勢を率いて台湾にやってきます。これは、台湾を明復興の拠点とするためです。

ここで、鄭成功の軍勢とオランダ人との戦いが始まります。

1662年、ついに台湾内のオランダ人の拠点であったゼーランディア城を陥落させたことにより、台湾からオランダ人を駆逐することができました。1662年に鄭成功は病死してしまいますが、息子など鄭氏一族が台湾統治と清への反乱を受け継ぎました。

しかし、1683年に清の康熙帝の攻撃を受け、台湾は清に降伏することとなり、鄭氏一族による台湾統治は終わりを迎えることとなります。

鄭成功は明の復興という目標を果たすことはできませんでしたが、台湾独自の政権を打ち立て、台湾の開発を促し、不屈の精神で清と戦ったことから、現代の台湾人から「開発始祖」と英雄視され、台湾人の精神的象徴となっています。

江戸時代の日本でも鄭成功は「国姓爺」の異名で親しまれ、近松門左衛門が書いた『国姓爺合戦』という浄瑠璃は大人気でした。

清の統治(1683年~)

鄭氏を降伏させた清は、台湾を福建省に編入します。

しかしながら、当時の清は台湾の統治に消極的でした。なぜなら、清は台湾を「化外(けがい)の地」と呼び、皇帝の権力が及ばない土地と考えていたからです。台湾は中国本土から離れており、文化的にも異なる台湾人を清の民と同一視することができなかったのだと思われます。

台湾が清の支配下に入ったことにより、中国に住んでいた漢民族が台湾に移住し、開発を始めます。これにより、以前から住んでいた台湾人と漢民族の混血が進みます。

さて、時代は進み19世紀半ば、世界は帝国主義の時代となります。帝国主義の時代とは、ヨーロッパの列強と呼ばれる国々が、世界各地で植民地獲得競争をしていた時代です。

列強の進出は清にも及びます。その流れで1856年、イギリスとフランスが清と戦争をするアロー戦争が起き、清は敗れます。

その講和条約である天津条約および北京条約で、清は11カ所の港を列強との貿易のための港として開港することを約束します。その11カ所の中には、台湾の台湾府淡水という港も含まれていました。

これにより、列強の進出がさらに強まり、台湾には主にイギリスが進出してきます。

また、1874年には日本が台湾に出兵をすることになります。これは、台湾に漂着した琉球(現在の沖縄)の船の乗組員が、台湾に現地民に殺されたためです。

日本は新政府に責任を求めましたが、清は台湾が「化外の地」ということで責任を取りませんでした。そのため、日本は台湾に出兵することを決定します。これは明治政府にとって初めての海外出兵となりました。

この台湾出兵はイギリスの調停により解決しましたが、日本の台湾支配への道を開いた事件であったと言えます。

この頃になって初めて、清は台湾の重要性に気づき、台湾の防衛強化のため、福建省から台湾を分離し台湾省として、清は台湾を本格的に統治しようとしました。

しかし、1894年に日清戦争が勃発し、清は日本に敗北、下関条約により清は台湾を日本に割譲することになります。

1895年から第二次世界大戦終了まで日本が台湾を統治します。

日本の統治(1895年~)

1895年に日本の支配に反対する人々が「台湾民主国」と名乗り、独立をしようとしましたが、日本軍に敗北し、台湾民主国は崩壊します。

台湾民主国崩壊後も、日本の支配に反対する勢力は武装抗争を続けましたが、日本により抑え込まれていきました。

日本は台湾総督府を設置し、統治を強化していきます。

日本の台湾統治は、「農業は台湾、工業は日本」というスローガンのもと、米や砂糖といった農業の振興を重視しました。また、義務教育制度を導入し、日本人との同化政策である皇民化政策を進めていきます。

1899年には台湾銀行を設立し、開発と近代化を促し、上下水道を整備したり、ダムや用水路などを建設したりしました。

さらに、1935年には台湾議会を設置し、地方選挙制度を施行しました。

1941年に太平洋戦争が勃発すると、台湾は重要戦略拠点として工業化が推進され、水力発電所などのインフラ整備が進みました。

この時代、日本の植民地という立場ではありましたが、台湾は大きく発展していきました。

1945年日本はポツダム宣言を受諾し降伏します。これにより第二次世界大戦は終わり、日本はサンフランシスコ平和条約で台湾の領有権を正式に放棄します。

中華民国の統治(~現在)

日本が撤退した後、台湾には蒋介石率いる中華民国国民政府軍が上陸し、台湾を台湾省として中華民国の領土に編入します。

このときの中国の状況を説明すると、清は1911年に起きた辛亥革命で倒れ、中国には中華民国が成立したのですが、第二次世界大戦前後で中国は二つの勢力に分かれて争っていました。

一つは蔣介石率いる中国国民党、もう一つは毛沢東率いる中国共産党です。

国民党はアメリカの支援を受けていましたが、腐敗が進んでいたため大衆の支持を失い、徐々にその勢力を弱めていきます。

そのような中、蔣介石は台湾を自らの支配下におさめようとしたわけです。

それに対して、1947年に二・二八事件が起きます。これは、蒋介石の支配に対する台湾人の蜂起です。蒋介石は、台湾人からの反発を抑えるために恐怖政治をしき、知識人や共産主義者など数万人を処刑したといわれています。

1949年には、国民党は共産党に敗れ、中国本土から追い出されることになります。蒋介石は台湾に逃れ、中華民国政府を台湾に移します。中国本土の方は、毛沢東が中華人民共和国を建国します。

ここに、中国本土の中華人民共和国と、台湾の中華民国という二つの中国が誕生することになるのです。

この時点では、国連の代表権は中華民国にありました。

また、アメリカは共産主義が拡大することを恐れ、その防衛のために日本・韓国に加え台湾を援助しました。

その後、台湾では蔣介石の独裁政治の下、開発が進み、重工業が発展していきます。

1965年ごろから本格化するベトナム戦争において、台湾はアメリカのための軍需物資の調達拠点となり、台湾経済は高度成長期に入ります。

このときから台湾はアメリカとの経済的関係が深まっていきます。それにより、台湾からアメリカへの留学者が増加し、現在の台湾の電子産業の礎を築くことになりました。

1971年に国連の代表権が中華人民共和国に移り、台湾は国連から追放されることになります。

日本は1972年に、アメリカは1979年に中華人民共和国を正式な政府として承認し、台湾との断交を表明しました。

ただし、日本は表向き台湾と断交はしたものの民間での交流は続いており、アメリカも共産主義勢力の拡大を恐れ、中国の脅威から台湾を防衛する姿勢を示し続けています。

ここに、表向きは経済大国である中国に配慮しつつも、裏では台湾とも仲良くするというダブルスタンダードのような状況が生まれてしまうのです。

その後の台湾の政治を簡単にまとめます。

蒋介石の後は、息子の蔣経国が総統となり、その後、李登輝という人物が総統になります。

李登輝は民主化を進めた人物で、1996年に台湾で初めての総統の直接選挙を実施しました。

2000年には民主進歩党の陳水扁が総統に選出され、台湾史上初の政権交代が起きます。

2008年には国民党の馬英九が当選し、中国との通商・通航・通郵を実現し、経済的関係を強化します。

2016年に民主進歩党の蔡英文が当選し、初の女性総統となります。蔡英文総統は、中台統一を拒否しています。

2024年に民主進歩党の頼清徳が第8代総統に当選しました。


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